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第11回

「働くことと幸せ」

学校や会社があるから人は生きていられる、という面があるのかも知れない。
野生の動物は食物を獲得するために起きて活動し、疲れて休み、又次の行動へと向う。
人間は幸いにして貯蔵を覚え、毎日は食物の獲得に時間を使わなくてすむようになった。
だから生産性をあげれば遊ぶことができるし半分寝ながらだらだら過ごすこともできる。
でも毎日だらだらしていたら嫌になってしまう。

誰が考えたか知らないが、学校とか会社は良い仕組みである。リズミカルに活動でき休息できる、
そして余暇を楽しむこともできる。
できれば学校や会社が楽しいと良い、学ぶこと、働くことと言いかえても良い。
それが楽しかったらそれにこした事はない。
「楽しさ」は他の動物にはなくて人間だけが感じていることである。

では何を学び何の働きをするか、やはり自分の好きなことがよいと思う。
また、もう一つ、世のためになることがよいだろう。
前者の場合他人の迷惑になってはいけない。できれば両方が一致していた方が良い。
さらに、その働きから、充分な食物が得られなければいけない。

人間の場合、食物以外にも欲しいものをいろいろと生み出している、そして交換する知恵も持っている。
学びも働きも幸せになるためと考えられ、幸せとは何か、どうしたら幸せになれるかを専門に研究してくれる人もいる。
そんな考えをいろいろ見聞して自分に合ったものを見つけたら良い。

幸せについてはもう一つの側面がある。
人間は社会的動物であり、人とぶつかりあうこともあるが、やはり、人と接触していたいものである。
その一番身近かなものが家庭、親子であり、ここが基盤である。
憲法は今生きている人々だけのものではなく、先人のものであり、将来の子孫のものであるという人がいるが同感である。
同じように家庭も考えられるものではないだろうか。