Hoteyのあしあと
皆さまにおいしさと安心をお届けするために、
守り続けたこと、挑んだこと。
布袋食糧の70年の軌跡です。
Hoteyの歴史
業界と社会の歴史
Hoteyの歴史
1940年代
- 1946.03
- 昭和21年3月
布袋食糧加工株式会社を
資本金30万円で設立(6月事業開始)
終戦後、「地元の皆のために、もっと安く手軽にパンやうどんを提供できる工場がつくれないか」と考えた福田清は、昭和21年3月18日、製粉・精米・精麦・製麺・製パン・製菓を営業種目とする布袋食糧加工株式会社を創立。新たな可能性を試そうとする者が福田のもとに集まり、社員総数24名での創業となりました。
- 1947.10
- 昭和22年10月
農林省より
内外麦製粉工場の指定を受ける
- 1948.05
- 昭和23年5月
火災により工場が焼失
昭和23年5月26日午前6時半、布袋食糧加工株式会社の製パン工場から出火。他に製麺工場、物置、事務所の計4棟が全焼する火事となりました。創業からわずか2年の出来事でした。
- 1948.06
- 昭和23年6月
焼失後、38日間の短期間で操業再開
その後、地元や各界の方々の援助により土地の確保ができ、社員や社員の家族はもちろん、地元の方々が土地の整地作業から製材まで昼夜を徹して行い、38日間という短期間で操業再開へ漕ぎつけました。
以来、5月26日を会社の復興記念日と定め、工場再建時の先達の血のにじむような努力を忘れまいと記念式典を開催し、安全祈願を行っています。
- 1948.10
- 昭和23年10月
布袋食糧株式会社に社名を変更
- Digest Story
- 1940年代を振り返って
創業当時、販売していたのはコッペパン1種類だけでした。安いだけではなく美味しいと評判で、連日行列ができ、整理券が配られるほどでした。
その後会社創立からわずか2年目、業績も安定し、基礎の固まってきた時に火災。
しかし、奇跡とも思える程の速さで再建。当時の社長は「“災い転じて福となす”のことわざ通り、火災が一つの大きな飛躍の基礎になった。物事は常に善意に考え、好転させるようにあらゆる手を尽くして努力しなければならない。」と強く感じたといいます。
1950年代
- 1950.08
- 昭和25年5月
愛知県より総合給食用
製パン加工工場の指定を受ける
終戦直後、東京・千葉などで部分的に実施されていた学校給食も、逐次全国的に拡大されるようになり、昭和25年頃には730万人の学童がその対象となっていました。
布袋食糧も、愛知県より総合給食用製パン加工工場の指定を受け、給食パンの製造を始めました。
- 1954.12
- 昭和29年12月
優良学校給食パン加工工場として
愛知県教育委員長より表彰される
- 1958.10
- 昭和33年10月
ニューマティックシステムを
採用した新製粉工場竣工
スイスから始まり各国で急速に普及した「ニューマティックシステム」は、清潔、衛生的である等といった機能面的なメリットと工場のスペース節約を実現するものでした。新製粉工場は5階建てで、当時の近隣エリアで初めての高層ビルとなりました。
- Digest Story
- 1950年代を振り返って
昭和27年(1952年)の麦の統制廃止にともない、麦加工業者は自由競争の時代へ突入しました。これにより民間取引が活発になり、加工技術や製品品質の向上が進められましたが、その一方で工場が乱立し、中小工場に厳しい波が押し寄せました。布袋食糧も決して楽な状況ではなく、課題も多くありましたが、社長は一貫して「良質なそして価格の安い小麦粉を売らねば絶対にだめだ」と命じていたといいます。
1960年代
- 1961.05
- 昭和36年5月
通産大臣より優秀工業統計
調査事業所として表彰を受ける
- 1962.04
- 昭和37年4月
即席ラーメンの製造スタート
インスタント食品の人気が広がってきたこの頃、布袋食糧は江南ラーメン協同組合を設立。即席ラーメン「ニューラーメン」の製造をスタートしました。売れ行きは日毎に増大し、注文に応じきれない状況が続きました。
- 1962.08
- 昭和37年8月
食糧庁長官より
食料品工業モデル工場として
指定を受ける
- 1962.09
- 昭和37年9月
新製パン工場鉄筋コンクリート
建550坪の
近代的設備
オートメーション式工場を完成
従来のパン工場だけではとても生産しきれない程生産量が増大したため、新たに最新鋭のオートメーション工場の建設が計画されました。
- 1963
- 昭和38年
「ホテー」「hotey」の文字と
麦のマークの使用を開始
「布袋様」の布袋と地名の布袋とが一致するということもあって創業以来、「布袋印小麦粉」「ホテイパン」という商標で製品を扱ってきましたが、この年、新たなイメージ戦略として、「ホテー」「hotey」という文字、布袋様のマークは麦の穂を使用するよう変更。
布袋のほ(穂)を表現したこのマークは、天に向かって伸びる穂を図案化。「麦に明け麦と共に進む」という布袋食糧の姿と強い気持ちを表しています。
- 1966
- 昭和41年
FF食パン開発
新製品の開発に力を注ぎ、画期的な売上増を記録したFF食パン(FFとはFull Flavourの略で豊かな香りという意味を持つ)を市場に送り出しました。
- 1967.01
- 昭和42年1月
名古屋埠頭サイロ株式会社を共同設立
昭和42年に入り、政府はバラ小麦の保管、輸送の増大を目指して、製粉業者の自主的サイロ建設を推進。布袋食糧も将来を見据え、まずは名古屋埠頭サイロ建設の構想を樹立。東海北陸地方の製粉業者に協力を求め、名古屋埠頭サイロ株式会社を共同設立しました。
- 1969.01
- 昭和44年1月
ホテーグループ結成
製品の交流と企業内の合理化のために、ホテーグループを結成。商品の多種多様化と少品種大量生産をめざすとともに、消費者と直接触れ合う機会を設けるため、パン工場2階の一部を改装し、ホテー料理教室を開講しました。
- 1969.07
- 昭和44年7月
名古屋埠頭サイロ完成
サイロ(鉄筋コンクリート、直径7m高さ26m)28基と機械室(コントロール部門、鉄筋コンクリート5階建870平方メートル)が完成。総工費は約2億3500万円が充当されました。
- Digest Story
- 1960年代を振り返って
東京オリンピックが開催された1960年代の日本は、高度経済成長を迎え、世界に影響を及ぼすまでになりました。布袋食糧も大きな発展・飛躍を遂げて設備を次々に増強。新たに建設した工場で、多種多様なパンやケーキを製造し、「ホテーパン」として名古屋市内の直営店等で販売しました。
1970年代
- 1970.05
- 昭和45年5月
港製粉工場を建設
- 1970.03
- 昭和45年3月
チロル第1号店オープン
ホテー産業株式会社を設立し、直営店部門を移管。様々な種類のパンやケーキを製造販売する「チロル」第1号店をユニー太田川ショッピングセンターにオープンしました。
その後も、バロー、アスパークなどにも出店していきました。
- 1971.11
- 昭和46年11月
合同出資により
セントラル製粉株式会社を設立
生産性の向上、品質の安定化と高級化、労働面での効率化のため、製粉設備のさらなる増強を決意。合同出資によりセントラル製粉株式会社を設立し、昭和47年3月新たな製粉工場が完成しました。
- 1972.09
- 昭和47年9月
ミスタードーナツ事業部発足
それまでに培った製粉加工技術を生かし、さらにおいしいものを家庭の食卓に届けるべく、ミスタードーナツのフランチャイズ事業に進出。昭和47年11月にはミスタードーナツユニー太田川店を1店舗目として開店しました。(日本国内のミスタードーナツ店としては第32号店)
その後も、江南店、一宮本町店、各務原店、犬山店など、次々に新店舗をオープン。特に一宮本町店は開店3日間、いずれも売上100万円突破という当時の新記録を達成しました。
- 1974.09
- 昭和49年9月
サンブレッド協業組合を設立
学校および保育園の給食パンと規格食パンの製造設備を共同施設として設置するべく、サンブレッド協業組合を設立しました。
- 1978.03
- 昭和53年3月
製パン工場敷地内にユーストア
ショッピングセンターが設置開店
- Digest Story
- 1970年代を振り返って
1970年代は加工食品の多様化が進み、食品業界の変化も多くみられるようになりました。消費生活が豊かになるにつれ食生活も変化し、高級化志向、グルメ志向、健康志向、手作り志向が消費者の間に広まってきました。一方で低価格志向や簡便化志向の人々もおり、食べる事へのニーズも多様化が進みました。
布袋食糧も販売事業を拡大し、ミスタードーナツ店舗やショッピングセンター内のインストア等をオープン。昭和52年9月のミスタードーナツ事業部は驚異的な売り上げがあり、特に一宮本町店は全国第12位、1,000万円の売り上げとなりました。
1980年代
- 1982.12
- 昭和57年12月
お客様センター開設
お客様とのコミュニケーションをより円滑にし、ご要望にお応えするために、「お客様センター」を社内に開設しました。
- 1983.08
- 昭和58年8月
大手食品企業との業務提携により
ノンフライ麺を販売
大手企業との共同研究で、タンメン、ラーメン2品種のノンフライ麺を開発。爆発的なヒット商品となり、供給が需要に追いつかないほどとなりました。
- 1984
- 昭和59年
愛知県児童給食会にカルシウム、
小麦胚芽の納入を開始。
- 1986.12
- 昭和61年12月
布袋食糧株式会社知多工場を新設。
サンブレッド製造部門を移管。
- Digest Story
- 1980年代を振り返って
日本経済が大きく成長し、バブル景気に世の中が沸き立つ一方で、エネルギー問題が市場に及ぼす影響から、布袋食糧は業界の厳しい将来を予想。工場の近代化やコストダウンを図って、企業力の強化、グループ化を推進しました。さらに情報交換などを通じて、同業他社との協業化にも力を入れ、協力体制を確立していきました。
1980年代最後の年には、昭和が終わり、平成が幕開け。時代の転換期となりました。
1990年代
- 1993.05
- 平成5年5月
ぱっくんろーど開店
オリジナル外食産業への進出の第1弾として、岐阜県可児市にお好み焼き店「ぱっくんろーど」を開店。若い世代をターゲットとした明るい雰囲気のお店で、好評を博しました。
- 1994.01
- 平成6年1月
新江南工場完成
- 1996
- 平成8年
乾麺ブランド「尾張万葉庵」販売開始
こだわりぬいた小麦粉・水・塩だけで作られた最高級乾麺「尾張万葉庵」を販売開始しました。
- 1999
- 平成11年
アンテナショップ「尾張万葉庵」開店
乾麺「尾張万葉庵」を中心に、お土産・贈答用商品を販売するアンテナショップ「尾張万葉庵」を本社敷地内に開店。乾麺の美味しい食べ方や茹で方を一人でも多くの方にお伝えするために、店内で「尾張万葉庵」ブランドの「朝漕ぐ船」シリーズの試食販売も行いました。
- 1999
- 平成11年
製粉部と有志のパン屋による
「天然酵母の会」発足
消費者の嗜好が多様化する中、布袋食糧独自の天然酵母パンの製法を公開。おいしくて風味の良いパン作りを広めるための活動を活発に行いました。
- 1999
- 平成11年
スクラッチベーカリー
「パンルヴァン」開店
焼き立てのパンを提供する「パンルヴァン」を開店。天然酵母を使用し、素材にこだわった健康志向のパンを販売しました。
- Digest Story
- 1990年代を振り返って
IT化が進み、インターネットが普及し始めた1990年代。情報の広がりとともに健康に気をつかう人が増え、パンも胚芽入りパンや低カロリーパンなどヘルシーなメニューが人気を呼ぶようになりました。また、この頃社会的に集団食中毒などの事件が発生し、食の安全には特に厳しい目が向けられるようになりました。
布袋食糧は製品の安全チェックや品質管理に重点をおくとともに、体にやさしい新メニューの研究・開発に日夜取り組み、その活動の幅を拡げました。
2000年代
- 2000.01
- 平成12年1月
中小製粉メーカー6社とともに
「ラインゴールド社」を設立。
国産小麦の良さを見直し、普及を図ることを目的とし、「ラインゴールド社」を設立しました。
- 2000
- 平成12年
セントラル製粉でISO9001を取得
- 2001
- 平成13年
品質向上のため、セントラル製粉が
旧サイロを解体し、500番サイロ竣工
- 2002
- 平成14年
尾張万葉庵「朝漕ぐ船」
江南市観光協会長賞(最優秀賞)を
受賞
- 2004.05
- 平成16年5月
ターモノックス事業開始
環境先進国であるドイツ製の「ターモノックス」を導入。ターモノックスは殺虫剤を使用せずに、害虫を成虫から幼虫・卵にいたるまで駆除することが可能な装置であり、工場の安全性をさらに高めました。またあわせて、ターモノックス代理販売事業も開始しました。
- 2006.06
- 平成18年6月
江南工場にサンドイッチ工場設立
サンドイッチを製造する専用工場を設立。この工場で製造されたみそカツサンドは空港等で販売され、非常に人気の高い商品となりました。
- 2007.12
- 平成19年12月
新・和歌山ラーメン
「ばり嗎 四軒屋店」FC店オープン
- 2007
- 平成19年
江南かれーうどん発売開始
布袋食糧と同じく江南市に本社を置くサンハウス食品とともに、「江南かれーうどん」を開発。愛知県産小麦と木曽川水系の伏流水を使用した乾麺とレトルトのカレールウがセットになった商品で、江南市の新たな名物となりました。
- 2008
- 平成20年
江南かれーうどん
江南市観光協会長賞(最優秀賞)を
受賞
- Digest Story
- 2000年代を振り返って
バブル崩壊後以降、日本経済は長らく低迷していましたが、より良い製品を作り続けるために、「ホテー・グループ」ならではのつながりと企業力を活かし、引き続き設備や機器に投資を惜しみませんでした。
「人のためになる付加価値商品を、コストを抑えて安価に提供すること」という目標を明確に掲げ、製品開発とサービス提供に努めました。
2010年代
- 2010.04
- 平成22年4月
ピアゴ布袋店内に
「ホテーベーカリー」オープン
労働環境の見直し、自社商品の開発力と販売力の強化を目指して、経営方針を大きく転換。インショップ事業「チロル」を廃止し、地元である江南市に「ホテーベーカリー」を開店しました。
- 2014.04
- 平成26年4月
からだと未来をつくる”醗酵おやつ”
おやつキング発売開始
小麦粉の乳酸菌発酵種を使用したお菓子「おやつキング」を発売。おやつは、こどもたちにとって大事なものだから、安全で、健康で、おいしいものを届けたい。その理念のもと、原材料には不要な添加物や化学調味料を使わず、原材料や産地にこだわり、「おやつの中のおやつ」「おやつの王様」と呼ぶにふさわしいお菓子を目指して開発しました。
- 2015.03
- 平成27年3月
おやつキング ミルクのサブレ
FOODEX美食女子
ママの愛グランプリ2016
「金賞」を受賞
- 2015.11
- 平成27年11月
ボンヌ ファリーヌ
全粉粒のパンケーキ発売
用途に適したおいしい小麦粉と毎日食べたい安心な国産素材を使用した全粒粉パンケーキ「ボンヌ ファリーヌ」を発売しました。小麦の香りともちもちした食感を楽しめるパンケーキです。ご家庭でたのしい手作りをお手伝いしたいという思いから生まれました。
- 2015.11
- 平成27年11月
昔ながらのめん発売
愛知県産の小麦「きぬあかり」を使用した「昔ながらのめん」を発売。地元で作った小麦を地元で製粉し、食べていた頃のように、「地産地消」をテーマに開発しました。
- 2015.11
- 平成27年11月
昔ながらのきしめん
フード・アクション・ニッポン
アワード 2015 入賞
- 2016.03
- 平成28年3月
食パン専門店
「よいことパン」吹上本店オープン
「よい粉と」「よい子と」「よいコト」をコンセプトにした食パン専門店「よいことパン」をオープン。国内産の小麦や玄米、本みりん、太白胡麻油を使用する等素材にこだわり、毎日食べても飽きないおいしい食パン「よいことパン」を店内で焼き上げてご提供。名鉄名古屋駅店、八事日赤店も続いてオープンしました。
- 2016.03
- 平成28年3月
70周年の節目に近隣の保育園や
小中学校へ図書を寄贈
これまで創業の周年記念の折に江南市へ寄付を行ってきましたが、70周年の折には、食に関する本や絵本を江南市内の保育園、小中学校へ寄贈。長年の寄付に対して江南市より感謝状をいただきました。
- 2016.10
- 平成28年10月
ボンヌ ファリーヌ
全粒粉のパンケーキ
てんさい糖ときび糖
フード・アクション・ニッポン
アワード 2016 入賞
- 2017.2
- 平成29年2月
昔ながらのきしめん お土産ボックス
全国観光土産品連盟が推奨
「全国推奨観光土産品」に認定
- 2017.11
- 平成29年11月
本社機能を江南市五明町高砂の
江南工場に統合
江南工場の一部を改装し、本社と統合。本社・工場各部署の連携をより緊密にすることで、さらに質の高い製品づくりとサービスの提供が可能となりました。
- 2018.01
- 平成30年1月
新たなhoteyロゴマークを制定
自然の恵みの多くはやさしく、おおらかです。緩やかな丸みを帯び、手に取ったときに、ほっとさせてくれます。私たちが作るパンを始めとした製品もそうありたい。新たな布袋食糧のロゴマークのシルエットにはそんな思いが込められています。 ブラウン系のカラーは、布袋食糧が扱う食材の小麦や、こんがり美味しそうに焼けたパンであり、それらを生み出してくれる大地の色です。右端に添えられた麦の穂と共に、私たちにとって無くてはならない恵みを提供してくれる、自然への感謝の気持ちも忘れません。 そして、抽象的なシンボルではなく、具体的な「布袋=Hotey」としたのは、私たちが提供する一つひとつの製品を布袋食糧がつくっていることをしっかり認識していただき、その名に恥じないものづくりをしていくことへの思いと責任感を表しています。
- 2018.04
- 平成30年4月
名古屋オフィス開設
- Digest Story
- 2010年代を振り返って
「食」は命を育む大切なものだから、できるだけ添加物や化学調味料を使用しない、からだに優しくておいしい商品を世に送り出したい。2010年代に入ると私たちはその思いをより一層強くし、数年の月日をかけて研究を重ね、素材本来の味を大切にして、誰もが安心して食べることができる自社ブランド製品を開発しました。
一方で社内の働き方改革にも積極的に取り組み、従来の枠組みにとらわれない店舗経営や労働環境の改善に努めています。
召し上がっていただく方の健康と幸せを願って。これからも、皆さまの心豊かで健やかな暮らしに寄り添った商品をお届けしていきます。
業界と社会の歴史
-
- 1946.06
- 製粉協会全国製粉組合連合会
中央粉食協会設立
-
- 1946.12
- 学校給食再開
(東京都・千葉県・神奈川県)
-
- 1947.02
- 総合配給パン委託加工工場の指定
-
- 1948.03
- 食糧確保臨時措置法
(小麦増産促進運動展開)
-
- 1949.04
- 国際小麦協定調印
-
- 1950.12
- 小麦粉輸出再開
-
- 1951.04
- 食糧配膳公団解散
(主食の配給民営移管)
-
- 1951.06
- 日本、国際小麦協定に加入承認
-
- 1959.11
- ふすま増産制度決定
-
- 1960.07
- 政府所有玄麦売却方式改定
-
- 1961.06
- ニューマティックミル能力
査定基準決定
-
- 1963.09
- 国内産麦明治以来の凶作
(前年比56%減)
-
- 1964.04
- 製パン製造業中小企業
近代化促進法指定
-
- 1967.11
- 麦管理改善対策要綱制定
-
- 1968.08
- 配合飼料製造業中小企業
近代化促進法指定
-
- 1969.03
- 第2次資本自由化実施
-
- 1969.05
- 自主流通米制度実施
-
- 1970.09
- 第3次資本自由化実施
-
- 1970
- 小麦粉製造業第1類
自由化業種に指定
-
- 1971.08
- 第4次資本自由化実施、
ハンバーガーレストラン
外資相次ぎ開店
-
- 1975.08
- 東日本製粉協同組合設立
-
- 1978.07
- 農林水産省が発足
-
- 1982.07
- 日本学校健康食会発足
-
- 1991.07
- 食品衛生法改正、
食品添加物の全面表示義務付け
-
- 1999.07
- 新農業基本法公布施行
-
- 2000
- 「食料農村基本法」
「新食生活指針」の策定
-
- 2000.04
- JAS法品質表示基準に
基づく遺伝子組み換え
農産物の表示制度実施
-
- 2007
- 農政改革三対策の導入
-
- 2010
- 「食料・農業・農村基本計画」を策定
-
- 2011
- 六次産業化法を制定
-
- 2012.07
- 米国で大規模干ばつ。
大豆、小麦、
トウモロコシなど高騰
-
- 2015.04
- 食品表示法施行