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第60回

「1945年を出発点とすれば」

 1945年、昭和20年8月15日、日本は第二次世界大戦に敗れました。終戦と云う言葉を使っていますが、敗戦であります。この日を原点とする考え方がずっと続いているとも云えます。本年2015年が70年としてよく引き合いに出されます。
 私達の郷土江南市は市制60年を迎えました。父・福田清は布袋食糧を終戦翌年の1946年6月8日に立ち上げていますが、地元旧布袋町の発展を同時に夢みていたようです。その第一歩が市になることであり、商工会の立場で骨折っていたと思います。終戦10年後の1955年に旧古知野町、布袋町、宮田村、草井村の4ヶ町村は目出たく合併し江南市が誕生しました。本庁の位置と名称を決めるのに苦労したのでしょう。命名は桑原幹根知事に依頼し木曽川の南と云うことで江南市と名付けられました。
 それから10年位たち、ロータリークラブを作りたかったようですが、今と違って極めて少数の有力者しか受け入れないとされ、江南に立ち上げることはむつかしかったようです。その頃ライオンズクラブはどんどん拡大しており、江南市の元気な商工業者は一宮のスポンサーで江南ライオンズクラブを創立しました。
 しかし、6年目の福田清会長、安部一夫幹事の年に、やっぱり江南市にもロータリークラブ、青年会議所、ボーイスカウトはあるべきだとなり後押しされたようです。これが1965年ですから、本年は50周年を迎えています。
 商工会は合併されて、一つの商工会になっていましたが、市には商工会議所を、となり、その為多額の募金を集め商工会館を作らねばなりませんでしたが、1975年無事に達成されました。
 初代会頭には商工会館建設委員長の安部一夫さんが就任し、その代わりみたいに父・福田清が市長候補に推され1975年に当選することが出来、爾来3期12年間78歳までつとめました。3期目の途中で興和紡の工場跡地を譲り受け1985年に市民文化会館を建設しました。従って本年は市制60周年であると共に文化会館の30周年でもありました。この年は江南ロータリークラブの20周年に当たるのでホワイエに加藤唐九郎さんの壁画を記念に寄贈しました。この時興和紡の三輪社長に、江南市のような貧乏まちに買えるものかと云われましたが、知恵を絞って県に高校用地と公園用地を取得して貰うことが出来、文化会館も首尾よく完成できたのでした。
 先人達が10年ごとの節目を意識して、互いに力を合わせ、事をなし遂げていたのです。焼野原の中から中小業者が相互扶助の精神で今日の経済の礎えを築いてきたと云っても過言ではないと思います。リーダーに惻隠の情が薄れフォロワーが自立の気概をなくせば、どんなにしっかりしたものに見える組織でも崩壊します。やはり縁ある人が助け合いみんなが一緒に発展する社会が貴いと思います。