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第56回

「3月15日」

母が先月の14日に、知人の経営している特養に入居させて貰いました。
1ヶ月すぎたので昨日、様子を聞きにいこうとしたら、妻が15日が誕生日だから、それに合わせたらと云うので、
今日、妻が用意して呉れた花篭を持って101歳のお祝いを兼ね出掛けました。
スタッフの方々が良くして下さり、食事も色々あっておいしいと喜んでいてくれましたので嬉しく思いました。
母は体が弱く、特に心臓は故障がちだったようですが、子供の頃山の上に家があり、
下から水を運び上げるのが日課で足が自然と鍛えられていたのが、
長生きと関係があったかも知れない、と話していました。
母から初めて足の話を聞かされましたが、人にとって足は大切だと改めて感じました。

衣食をはじめ身の廻りを24年間母が、そしてその後54年間は妻がして呉れたことを思うと、
自分の人生は女性によって成り立ってきたと思えるようになりました。
そして今、仕事も5年程前から三女が引き継いでくれている事を思うと、益々その感を深めます。

3月15日は母の誕生日でありましたが、もう一つ親しくして頂いた大脇正太郎先生とのお別れの日でもありました。
24日に満89歳となられる筈でしたが、13日に他界されました。
4日にはまだ江南ライオンズクラブの例会に出席されたようですから、すばらしい大往生だったと思います。
私がときわ会の責任者であった時には理事会で先生にお目にかかる事が楽しみでした。
いつも建設的で穏やかな意見を出しておられた事が忘れられません。
「もし弟の源公さんがライオンズのガバナーになるとしたら、清ちゃん応援してやって呉れるか」
と先生に云われた時は、むしろ嬉しく思いました。
そんなに何回もお目にかかった訳ではありませんが、格別に親しみを感じていました。
本当は少なくとももう10年は生きていて欲しかった方ですが、
誰しも一度は終りを迎えねばなりません。惜しまれて去ってゆくのが幸せかも知れません。
浄土宗で式が行われました、曹洞宗と兄弟宗と聞いた事がありますが、
確かに知っている言葉がいくつも聞かれました。
家紋が同じ下り藤であったことも印象に残りました。