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第4回

「根無し草」

世の中の出来事を見ていると、身の回りは平和で安穏としていると感じられる。しかし同時に自然現象にも社会現象にもとんでもないことが多発している。

先行きも、将来はこのような素晴らしい社会、世界を目指すのだと元気良く言う人もいなくて、何かどんよりとしていてすっきりしない。
ただ、グローバリズム、アメリカニズムに従って構造改革を進め、市場主義・競争手技を徹底すれば効率的な日本が実現するというばかりである。

何か間違っていると思う。第二次世界大戦後、ポンドからドルへ基軸通貨が本格的に移行する頃、各国はドル不足に悩んでいたが、資本主義は自動修正のしくみ を持っていて、一時代前の独占によって過大な利潤を得ることには多大な罪悪感を覚え、且つ、富の平準化も大きな価値基準であり、公正・正義という言葉にも 夢があった。

ところが、冷戦終結後は違う。資本主義はあたかも完全無欠のように受け取られ、その時その時の現象に合わせた理屈を掲げ、 極端に言えば弱肉強食が良いことで、落ちこぼれた者をセーフティネットで救えばよい、それが良い仕組み・あるべき姿だという考えに世の中が変わってしまっ た。少なくとも、こういう考え方に異論を挟むことは、人前ではなかなか出来ない雰囲気である。

世論誘導が巧みに行われているので尚更である。市場主義、自由化、規制緩和、グローバリズムと、ちょっとでも違うことはなかなか言い出せない。言ったら馬鹿にされるような気がする。でも、食料はこれではいけない。人間は直接、食物でできているのだから。

目的と手段は取り違えられやすいが、人間の幸福と市場主義の関係も例外ではない。幸せや快適の追求が、いつの間にか貨幣とか利潤の極大化に変えられ、当然のことのように受け止められるようになる。

幸せのおおもとは健全な心身であり、健全な心身は良質な食物が基盤となる。人工の色や匂いや味を使って、安く多く売れれば良いというのでは悲しい。もっと 食物の価値を尊重する世の中になってほしい。よくない食生活で青少年がむしばまれているとの記事を時々目にするが、根元となる『食』にもっと関心を寄せて 見直したならば随分と明るい未来が望めると思う。

(2004/12/01)