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第44回

「日本人はなぜロータリーに惹かれたか」

1905年に生れたロータリーは1921年に日本に入ってきました。そして、名古屋には1925年に誕生し、その子クラブとして1935年に岐阜、1936年に四日市に設立されました。しかし第二次世界大戦で国内のロータリーはなくなり、1949年に国際ロータリーに再加入しました。ロータリーは誕生から1920年代にかけて、一番良く議論され組織としての性格が多くの人人にとって納得性のあるものに固められていったと思われます。その頃米山梅吉翁によって日本に紹介され、賛同されたのであります。
特に職業の基盤に奉仕の概念を置く考え方は魅力的であったのではないでしょうか。又、自治の精神にも惹かれたのでしょう。お上(かみ)に従っておれば良かったのが、近代化のためには自分で考え行動する必要があり、民主主義の考え方と共に、自立の気風に満ちたロータリーは日本の実業界のリーダーに受け入れられたと思われます。その他に英語のやりとりが新鮮であったろうし、世界の諸国の同じような立場の人達が同じ理念で仲間となることも楽しかったと思われます。ロータリーを通じての国際的なつながりは、現在より遙かに魅力的なことであったと想像されます。
ロータリーと職業と奉仕について、もう少しみてみたいと思います。1906年1月に制定されたシカゴロータリークラブの定款には会員の事業上の利益の促進と、会員同志の良き親睦が記されていただけで、奉仕の概念は入っておりませんでした。1908年にロータリーの歴史では有名なシェルドンがシカゴクラブに入会し、奉仕理念をロータリーに提唱したのでありました。即ち職業奉仕理念であります、自分の儲けを優先するのではなく、自分の職業を通じて社会に貢献し、結果として自分も報いられる、そして継続的な事業の発展を得るという考え方です。He profits most who serves best.(最近になってHe がTheyに変えられました。)という第2標語が、みんなのためになるかどうかを調べられる四つのテストと共に、熱狂的に受け入れられたのでしょう。20世紀の初めには日米ともに所得格差は非常に大きくごく一握りの人人に富が集中していたのが、ロータリーの精神的発展期である‘20年代、‘30年代にこの格差がリーダーの理想主義によって急速に狭まったのでした。しかしアメリカでは黄金の‘60年代が過ぎ、‘70年代の終わり頃から、再び格差が新自由主義の名のもとに大きく拡がり始めました。日本も経済構造的にはアメリカの影響を受けていますが、所得格差の面では、まだ平等性が残っているのです。このことと並行するように、アメリカのロータリーで盛んであった職業奉仕の理念が高潔性という言葉だけを残して下火となりましたが、日本では主に古い会員の間に職業奉仕こそロータリーの金看板という考え方が強く受け継がれています。
1906年に設立され現在は公益財団法人として社会教育に貢献している修養団の現相談、中山靖雄さんがインタビューの中で、聞き手である映画監督の入江富美子さんに興味深い発言をしておられます。『あなたの仕事は何ですかと聞かれたら、まず「人の役に立つことです」と答える。それは何を通じてですか?と聞かれてはじめて「映画監督を通じてです」と言うとみんなが尊く、良い仕事なんですね。』これこそ日本人が惹かれたロータリーの魅力だったと思います。