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第25回

「ミツバチの沈黙」

中日新聞の9月14日(火)にCOP10に関するシンポジウムとミツバチの異変の取材報告が詳しく報じられていました。
義弟の野々垣 禎造さんと、若い頃中日新聞江南通信部に勤務されていた飯尾 歩論説委員が登場されていましたので、二面共すみずみ迄読みました。
かねてより、生物多様性と企業の規模による多様性は似たところがあるように考えておりましたので、人の幸せは何だろうかと思いながら興味深く読みました。
浜 矩子教授の例え話発言、「なぜ生物多様性を守っていかないといけないのか、多様の逆は、分捕り合戦と独り占めであり、独り占めがどのような状況をもたらすかを示すオスカー・ワイルドという作家の短い物語がある。
― 豊な自然がある庭付きの城に、一人の巨人が住んでいた。彼は子どもが庭へ入って遊んでいるのに激怒して、壁を厚くした。結果、庭には二度と春が来なくなり、木々は枯れ、巨人は孤独に年老いていった。ある時、男の子が庭に紛れ込み、その子の周りだけ小さな春が訪れた。巨人が城の門を開放すると、あっという間に春は巡り、豊な自然が広がった。
― 巨人と子どもという多様な存在が空間を共有し、一丸となることで、豊な心も自然も戻ってくることを物語っている」
は、その侭社会を比喩しているようです。

グローバリズムが拡がり、欧米や新興国の巨大企業が一層大きくなることが素晴らしいことであり、良いことだと看做されています。確かに大量生産・大量消費でローコスト製品が生まれますが、その陰には使い捨て大量廃棄が潜んでいます。
そのことは別としても、画一的な低価格製品だけでなく、顧客の個性を尊重する多様な高価格商品もあった方が豊な環境が出来ます。しかも物を大切にする想いにもつながるのではないでしょうか。
大量生産・大量消費だけが良いというように、洗脳しても、されてもいけません。楽しさ幸せを考えて、少し長い時間軸で見ることが大切だと思います。